鹿児島御朱印巡り

鹿児島在住、きんぎょ目線で、鹿児島の御朱印、家族風呂、グルメ、観光スポット、などを、ゆる~く紹介します。v(。・ω・。) 

島津家の祈願道場として創建された天長寺

宮崎御朱印巡り

 

島津家の祈願道場として創建された天長寺

宮崎御朱印寺高野山真言宗天長寺都城市

 宮崎県都城市にある 天長寺(てんちょうじ)へ

 御朱印をいただきに お参りして来ました。(*^-^)

 

 

 到着したのは 14時くらいだったでしょうか・・・

 相変わらず、道がわからず あっちこっち

 右往左往しながら なんとか 到着しました。

 

宮崎御朱印寺高野山真言宗天長寺都城市

 こちらが 外観です。

 外には たくさんのお地蔵様が いらっしゃいました。

 

本堂

宮崎御朱印寺高野山真言宗天長寺都城市

 写真撮影は 許可をいただいたので 写真を

 撮らせていただきました。

 

 歴史

 天長寺は天文7年(1538年)8月、

 都城島津家第8代領主・島津忠相公が島津家の祈願道場として

 創建したことに始まる。

 忠相公が隣町の財部城を入手する時、功のあった

 財部寿福坊快成の弟・瞬叡和尚を湯池に招いて

 初代住職とした。

 

 もともとこの地は千尺の老松生い茂り、吹き渡る風は

 耳を洗うが如く、また、流水の音絶えず、

 そこで 一人の比丘尼が修行をしていたと言われる。

 

 そのことを聞いて忠相公は、比の地に天長寺を建立した。

 なお、快成は雪舟の流れをくむ 薩摩絵師の一族と言われる。

 

 境内には天満宮が寺院鎮護の霊社として祀られ、

 国土安泰を祈り、寺の名を天長寺、寺院繁栄を祝って

 松林山という山号にした。

 

 幕末まで当地方の寺社奉行をつとめていた。

 明治時代の廃仏稀釈の法難を経て

 今日まで480年余の歴史を有している。

 

 いただいた パンフレットより。

本尊

宮崎御朱印寺高野山真言宗天長寺都城市

 現在の本尊は四臂(しび)不動明王である。

 江戸時代までは本堂と護摩堂に本尊が奉られ、本堂は

 正観音像は天文8年(1539)、仏師深賢快重の作である。

 護摩堂の不道明王については次のような記録が 残っている。

 

 この不動明王は縁起に恵心僧都の作と記されているが、

 仏師の見るところ知證大師・円珍の御作と思われる名品である。

 

 古来梅北の谷にあったもので、野火によって祭ってあった

 堂塔がすべて焼けてしまった。

 ある日猟師が犬を連れて猟をしていたところ、犬がある

 桜の木の下でしきりに吠えるの見上げると 木の上に 

 この不動明王が立っておられた。

 人々はこれを崇敬し天長寺の本尊に安置する。

 この桜を不動桜と言って崇めた。

 

 本尊・正観音は第3代住職・権律師伝灯阿闍梨舜融の造立に

 よるもので、作者は仏師深賢快重である。

 都城盆地を一巡する三十三ヶ所霊場の結願寺として次の 

 歌が残っている。

 

 観音音の大慈大悲をとちめまて天長地久の国家安全

 

 いただいた パンフレットより。

 

宮崎御朱印寺高野山真言宗天長寺都城市

 線香をあげさせてもらいました。

 が、いまだに よくわからず・・・

 宗派や、線香の数など 違うので 

 まだまだ 勉強が足りませぬ (-_-;)

 

お地蔵様

宮崎御朱印寺高野山真言宗天長寺都城市

 かわいらしい お地蔵様がいらっしゃいました。

 

 

宮崎御朱印寺高野山真言宗天長寺都城市

 黒い石の下には 高野山奥之院の御砂が納めてあるそうです。

 

御朱印

宮崎御朱印寺高野山真言宗天長寺都城市

 御朱印です。

 

 お参りさせていただいた時に 住職さんが

 いらっしゃって いろいろなお話をしながら

 さらさらっと 御朱印を書いてくださいました。

 

 でも、私は 正座が苦手で 立ち上がる時が

 大変なのです <(ToT)

 これから もっと 勉強しつつ お寺さんにも

 行かせていただこうと思います。

 

 

 

お寺情報

 高野山真言宗

 松林山成就院  天長寺

 

 宮崎県都城市都島町1300-5