鹿児島御朱印巡り

鹿児島在住、きんぎょ目線で、鹿児島の御朱印、家族風呂、グルメ、観光スポット、などを、ゆる~く紹介します。v(。・ω・。) 

妙円寺詣りで有名な徳重神社

鹿児島御朱印巡り

 

妙円寺詣りで有名な徳重神社 

鹿児島御朱印神社島津義弘公徳重神社日置市

 鹿児島県日置市にある 徳重神社に 御朱印を

 頂きに お参りして来ました。ヽ(´ω`*)

 

 

 島津義弘公の菩提寺であった妙円寺が

 明治2年の廃仏毀釈で廃寺になり、

 義弘公を祭神とする徳重神社と

 なったそうです。

 

www.kagoshima-kankou.com

 

 

鹿児島御朱印神社島津義弘公徳重神社日置市

  鳥居です。

 写真が わかりづらいですね。

 

手水舎

 

鹿児島御朱印神社島津義弘公徳重神社日置市

  手水舎です。

 

 

鹿児島御朱印神社島津義弘公徳重神社日置市

  島津家の家紋の 丸に十の字です。 

 

社殿

 鹿児島御朱印神社島津義弘公徳重神社日置市

  社殿です。

 

 由緒

 伊集院城主長門守忠国の十一子石置真梁禅師は、

 諸国遍歴の折長門の国主の娘の霊を

 弔った因縁から、帰藩するとかの国主の

 請願により、明徳元年妙円大姉の菩提寺と

 して法智山妙円寺を開山した。

 

 これが当社の前身である。

 義弘公は父君貴久公と伊集院壱宇治城で

 十六歳の時まで過され、深くこの地を愛された。

 

 幼少より薩藩の教えの父といわれる

 日新公の薫陶を受け、生涯五十数度の合戦に

 明け暮れながら治世愛民に心を尽くし、

 殖産興業・水利開墾を図り、

 また神社仏閣を保護復興し、

 以降の島津家興隆の基礎を築いた。

 

 慶長九年、公自ら妙円寺を菩提寺と定め、

 三百石の寺領を寄進し御自分の木像を安置。

 

 元和五年七月十一日薨去。寿八十五。

 明治二年十一月の廃仏毀釈により

 徳重神社と改号され現在に至る。

 

www.kagojinjacho.or.jp

 

 

妙円寺詣りの歌

鹿児島御朱印神社島津義弘公徳重神社日置市

  妙円寺詣りの歌があります。

 友達に 教えてもらったのですが

 すっかり 忘れました。(-ω-〃) 

 

 

鹿児島御朱印神社島津義弘公徳重神社日置市

  毎年10月に開催される 妙円寺詣りで

 奉納されるための 土俵もあります。

 

 

御朱印 

 

鹿児島御朱印神社島津義弘公徳重神社日置市

   御朱印です。

 社殿を正面にして 右側の方にある

 社務所で いただけます。

 

 

妙円寺詣り

 十月第四日曜~妙円寺詣 関ヶ原の合戦で

 最後まで陣地を死守した義弘公は、

 残る数百の手勢とともに敵陣を突破して、

 僅か八十余名となりながら薩摩に帰り着いた。

 

 公薨去の後、この武勇を偲び合戦の

 旧九月十四日に各地より鎧兜に身を固めた

 郷士達が参拝するようになった。

 

 明治維新後も受継がれ、県の三大行事として

 各種古武道試合・駅伝の行われる中、

 大勢の参拝者で賑わう。

 

 平成五年より参加しやすい日曜に改めた。

 

 ◎同日~徳重バラ太鼓踊(県指定文化財) 

 公が慶長の役の泗川新塞城で明軍二十万を

 討って快勝した際に使われた大太鼓といい、

 県内伝承の太鼓踊りの中で最も大きい太鼓

 (直径1.45メートル)と矢旗(長さ20メートル)を

 用い、道行き等八つの型からなる。

 

 妙円寺詣りの時は すごい人です。

 鹿児島市内から 夜通し 鎧兜を身に着けた

 人達が 練り歩いている姿を

 見ることができます。

 なので、妙円寺詣りの時には

 武士?の方々を 数多く見ることができます。

 

 

 

 

神社情報

 徳重神社

 

 鹿児島県日置市伊集院町徳重1787

 

 御祭神

 精矛巖健雄命(島津義弘公)

(クワシホコイヅタケヲノミコト)

 

 例祭日  10月第4日曜

 

 御朱印  あり

 

 駐車場  あり 

 

 

www.gosyuinn.work

 

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